*:.。.:*゜ぁいとーの日記 ゜*:.。.:*

ある時点での自分の記録たちとその他いろいろ

敗北者?/今後の指針

こんばんは。ゼミのレジュメの発表を終えたので、またいろいろ書いていきたい所存です(見たい人はどうぞ言ってください)。Web漫画の記事、自信作なのでもっとみんな見て読んでほしいなと思ってます。

(追記:これを読んで「ぞわっとした」という友人の話を聞きました。尤もだと思います。ただ、今回の話はあくまで本能以外の部分について語った一面的なものであり、僕はサイコ野郎ではないはずです。その点なにとぞご理解ください。)

さて、以前ウィトゲンシュタインのことから自分にとっての恋愛(もっともそれは恋愛以外のものについても当てはまる理論だけど)の必要性を見出したわけですが、よく考えればもっと鬼気迫る理由がありました。

こんな例を考えてみましょう。

A「最近の中国のアフリカ支援のことどない思う?」

B「え~そんなんわかれへん」

A「これやからお前ほんま、ニュースくらい見んかい!」

B「じゃ~か~しい、恋人もおらんようなやつに説教されたないわボケ!」

A「…(絶命)」

実のところAがほんとにしょうもないやつでも、ほんとに優秀なやつでも、恋人がいないというのが事実であるならば、Bの太字部分を喰らった時点で敗北確定です。「クソ童貞のくせに一人前面するな!」なども同様。敗北確定というのは正確ではないかもしれません。実際Aがコミュ力やら人間的総合力やら(要定義!)で勝っていても、ただ恋愛経験に欠けているというだけで、まるきり社会性に欠けているかのような状態になっているわけです。いや実際こんなこと言ってくる奴いたら頭おかしいってことにして済ませればいいわけで、これは極端な例なのですが、「恋人の聖地」とかそういうもので溢れかえり、恋愛と種の保存(異性愛者でない方への配慮に欠けることをご了承ください、悪いのは社会です)を至上命題に据えるこの世界において、恋愛経験に欠けるということのスティグマ性は重く重くのしかかってきます。そんな社会で恋愛の一つもせず高説垂れるなんてことは視野狭窄に陥っているということなのではないかと正直思ってしまいます。結局自分にとって自己承認に恋愛が必要なのもこのためです。むしろそれ以外コンプレックスを感じようがないとても幸せな人生を送らせてもらっているのに、ただ一つ欠けているだけで自分がどうしようもないクソ雑魚ナメクジな気がしてくるのです。リア充万歳、陽キャ万歳、稲井大輝万歳!

何度も何度も恋愛の必要性について語ってきて、そろそろこの部分は消化できたなあと思います。そもそも未経験のものについて語りえるはずもないのでこんなもんでしょう。というわけで、これから定期的に恋愛のことについて書いていきたいと思うわけですのでよろしくお願いします。とりあえずのテーマ設定も考えました。ちょっと前に「恋愛偏差値診断」なるものがツイッターで流行ってました。自己の課題を見つけ出すべく果敢に挑戦していったところ、まず結果のところで偏差値67だか68だかの好成績を見て小さくガッツポーズしたと。そこからが問題です。そこに並んでいるのは、何かを突きつけるように並ぶ「好きな人を揺さぶれるか:劣」「好きな人に食いつかれるか:酷」の二つの項目でした。他の項目のそこそこの優秀さが、この二つの絶望感をより高めていました。しょせんお遊び、気にするまでもないと言ってしまえばそれまでです。ただ、そこで止まってしまっては凡百以下であると言わざるを得ません。どんな形で現れたものであれ、欠点を真摯に受け止めその改善に努めていくのが現代社会の最前線を生きる者の務めであるはずです。これを踏まえて、「恋愛感情の立ち位置」「相手を恋愛面で惹きつけるとは何か」ということについて考えていきたいと思うわけであります。前者の前提として、次は「知り合い、友情、親友」について考えていきます。最近あった面白いことで打線組めるような人生じゃないのでこんなことを書かざるを得ないわけです。どっかで閑話で「石油王の娘の美少女に生まれたかったけど無理なので逆玉に乗る方法を考える」っていう記事を作りたいなと思います。今回はあんまり進展がなくて悲しいのですが、まあ次回以降にご期待ください