*:.。.:*゜ぁいとーの日記 ゜*:.。.:*

ある時点での自分の記録たちとその他いろいろ

サンキューTinder フォーエバーTinder

またしてもお久しぶりのあいとーです。まあ花粉がよく飛ぶ季節になりまして、薬も相まって春眠暁を覚えずてな感じのライフサイクルでやってますけども、今回は5か月ほどお世話になったTinderの帰結というものをしっかりと記していきたいと思います。

端的に言えばTinderを通して異性の恋人ができたということになります。いろいろありました(Ex.

konnichihaitou.hatenablog.com)がなんとか丸く収まったというところです。彼女出来たという話をするたびに「本当にTinderで彼女作るやついたんだ」的な反応をもらうのは暇な女子大生のおかげなんでしょうかね。このことについて、とある先輩は「食洗器に食器突っ込んで綺麗になって出てきて驚いてるのと同じことでしょ笑」とおっしゃってましたがまさにそうだと僕は思います。

さて、 恋愛そのものの話題に入る前に、Tinderの運用法その他を遺しておこうと思います。といってもTinderでヤリまくりみたいな内容のものは、すでに巷に溢れているでしょうし、だいいち僕には書けないので、彼女あるいは長続きする友人を見つけるという趣旨で書いていきます(ついでにもう一つ言うと、性欲ど真ん中みたいなメッセージでも1割は返ってくるとか誰かが言っていたので、そういう目的の人は数撃ちゃ当たる戦法の方がいいと思われるので)。

まず大前提としてあるのは、いかなる目的であろうが、マッチしなければ無意味であるというテーゼです。「俺はトークもうまいし聡明で紳士だ!」という自負があっても、相手に何らかの形でそれを伝えなければコミュニケーションの舞台に立つことすら許されないのがTinderです(多分他のマッチング/婚活アプリもそうでしょうが、Tinderはお手軽ゆえにこの傾向が強いと推察されます)。Tinderをやって初めに目に付くのは、名前・写真・年齢・学歴/職業・相手の距離という5つの要素です。自己紹介文的なものはその次に見ることになります(プロフィールの二段階構造)。したがって、かなりのイケメン(人混みを歩いても目に付く程度を指す)であれば、その長所は写真から伝わりますし、高学歴・高収入なんかも容易に伝わる長所になりますが、それ以外の人となりについては、そもそも短い文ではあまり伝わらない上に、それを見てもらえる確率もさして高くありません。さて、ここで自分を「かなりのイケメン」には属さないとしたとき(そして実際にそう)、マッチを勝ち取るためにとるべき行動は主に二つになります。つまり、人となりをなるべく端的に面白く見せる努力をすることと、人となりを見てもらうべくインパクトのある写真を選定することです(写真に限定したのは、年齢・学歴・職業は変わらないし捏造はしないという観点からです)。Tinderうまくいかないなあっていう場合、必ず二段階のどちらかで振り落とされているのですから、両方とも改善するのが筋というものでしょう。

以上の事柄は自分が経験により身に着けたことになります。僕もしばらくは漫然と「なんかTinderうまくいかないなあ…」と思っていましたが、今思えばそれは当然のことで、東大文Ⅰというカードしか使えていない状態だったことが原因です。まあしかし当時はそこまで深く考えてはいないので、まず「もっとプロフィールを面白くしよう」と工夫しましたが、大してマッチは増えませんでした(恥を捨てて高Q36とかまで書いたのに!)。どうしようもなくなって、写真を変えるしかないと思い至り、前掲の記事でも書いたように、山崎賢人の写真を採用したところ、露骨にマッチが増えました。体感的には「本人の顔じゃないとか無理」みたいな層はけっこうマイノリティで、そこを切り捨てることで第一段階でのインパクトを爆上げし、多分そのへんのヤリチンよりは興味深いに違いない第二段階の人となりを見てもらい、結果マッチが増えたものと思われます。ここから語ることはあまりなく、マッチしたときには相手のプロフィールからどんどんと返しやすい話題を振っていって、LINE感覚で会話が進むようになったら、LINEの方に移ってまたいろいろ話していけば、いずれ会おうみたいな話になります。よく言われることですが、マッチして「こんにちは!」「よろしくお願いします。」とか送っても返しにくいし返す気も起こらないので、ちゃんと話題を作りましょう。現実でも同じことですが、はじめからいくらかプロフィールが開示されている分もっと簡単なのではないかと思います。

「Tinderにこんなに真剣に取り組むなんて頭おかしいのでは?」と思われる方もいらっしゃるでしょうが、ウェイウェイできるサークルに全くコミットしていないしする時間もとれない僕にとって、Tinderを有効活用しようという発想に至るのは至極合理的な結論です。サークルの年会費とTinder Goldの年会費/半年会費×2、たぶん後者のが安いですしね。「全然わかってない!そういうとこがキモいんだけど!」と思う人も間違いなくいるし正直自分でもそう思いますが、理論に基づいた行動によってよい結果が出たのでそこは勘弁してほしいというところです。彼女だけじゃなく友人もできたし(カナダ在住のOLも!)、受験生のJK(なんでTinderやってんだって話だけど)に勉強法やらメンタルの持ち方をいろいろ教えてあげたらいつか手紙くれるらしいし、ここ最近はずっと社会のいわゆる「上澄み」みたいな部分でだけ過ごしている自分にとっては新しいものが色々と見られたということもあって、総括すると金と時間を使った甲斐はあるというものです。もう一つ得られたものとしては、今こうして書いて思ったことですが、社会の構造を把握することの重要性ですね。Tinder一つとっても、無策に立ち向かうより、論理的に構造を見抜くことで、より効率的なアプローチができるわけです。社会のあらゆる部分に対して、同様に考察を深めることで、もっとよき生を送れるのではないかという風に感じました。予備試験の対策も同じことですね(ブログに時間を割いた分、自分で危機感を煽るためにしばしば記事内で言及することになる)。

気持ち悪い話をどうにか綺麗にまとめることができました。次の話は恋愛そのものについてです。これもひどいことになりそうですが。

「どんなに醜悪であろうと、自分の真実の姿を告白して、それによって真実の姿をみとめてもらい、あわよくば真実の姿のままで愛してもらおうなどと考えるのは、甘い考えで、人生をなめてかかった考えです。というのは、どんな人間でも、その真実の姿などというものは、不気味で、愛することの決してできないものだからです。これにはおそらく、ほとんど一つの例外もありません。」(三島由紀夫『不道徳教育講座』)

この前半をとある先輩が引用してツイートしていたところ、ちょうど自分の恋愛に関する思索はまさに「醜悪」の類なのではないかと思い、ここで使ってみることにしました。「彼女ができたってことは、きみの拗らせた恋愛観がすっかり正常になったということなんだろ?」と言われれば、ずばり答えはNOです。恋愛感情ってどう定義するんだ、どう特別なんだ、それもわからないなんて自分は恋愛に向いていないんじゃないか、という思考は、高1くらいからでしょうか、付き合い始める直前も、付き合ってからも常に付きまとっています。こういった思考は、ただ自分の中で悩ましいだけではなく、世の中の様子を見ても、明らかに普通とは離れています。自分からすれば、「なんでそんなに悩まず生きてるんだ?」というところですが、結局はそんな主観など取るに足りず、世間一般の感覚からの著しいズレが自分の「醜悪」さとでもいうべきものを突き付けてくるわけです。Tinderを始めた動機は、ノリによる部分が大きいですが、あえて不安の種に飛び込むような、劇薬を服するような行為で、結果としてそうした不安感を解消することができるのではないかという期待もありました。そして、思惑通りなのか、前掲の記事のような出来事もあって、何より彼女と出会って付き合うことになったわけです。

さて、僕の場合は彼女の方から告白してくれて、そのこと自体は非常に嬉しかったしOKしたから今に至っているわけですが、前述の不安感は恋愛関係を続ける上でもしっかりと心に圧し掛かってきました。さらに、彼女が見せてくれる恋愛感情というのはけっこうはっきりとわかるがゆえに、自分の恋愛感情についてまとまっていないということは一層罪悪感を覚えるものでした。「醜悪」は心にしまっておかねばならぬという、さっきの三島の言葉から出てくる結論を胸に、このことは彼女には伝えていなかったのですが、いつかこうした感情のために(例えば向こうにそれを看破されるとか)二人の関係は破綻をきたして、僕も彼女も傷つくのではないかということが容易に想像され、ナーバスな気持ちになることもありました(デートの時なんかはすごく楽しいので考えずに済むんですが、別れた後とかによく思いました)。

ここで、「醜悪」を隠しながら恋愛するうしろめたさと「醜悪」を告白することで拒絶されることへの惧れの間で、自分は板挟み状態となっていました。ブログなので別に幸せ部分を書くことはないわけですが、けっこう幸せにやっているのをぶち壊しにするリスクを負ってまで板挟みを脱すべきかということも悩まれました。しかし、まあこうして記事にしたということでお察しの通りでしょうが、やはりうしろめたさを解消し、より納得できる交際につなげるべきだという結論に至り、山中湖で買った写真付きのハガキに長文を書きつけ、彼女に読んでもらうことにしました。こっち側の結論に舵を切ったのは、きっと彼女と会うたび話すたびに少しずつ、うしろめたさが増す一方で、ふわっと恋愛感情の外形みたいなのがわかってきて、かつ仲良くもなってきて、不安が小さくなったからなのかなと思います。相手を想っているようでずいぶん自分勝手な気もしますが、人間ってたいていそんなもんなんでしょうね。

ということで前に彼女に会ったとき、「バレンタインに手紙をくれたおかえしのメッセージ」という体(体とはいうもののそれも一面の真実ではある!)でハガキを渡しました。「これで終わりになったら救いないなあ」なんて祈りながら読み終えるまで目を閉じて待っていましたが、彼女は一言「もっと好きにならせるからいいよ!」と言ってくれました。拍子抜けって感じもしますが、いや~なんとかいい話になりましたね。肩の荷が下りたことで、オープンに惚気まくる世の人々の気持ちが少しわかってしまったのが原因なので、まあたまにはそういうこともあるよと許してください(でも多分これ以外では惚気ないけど)。その後LINEで「なんとなく察してたけど、自己満足で愛を伝えてた」ってな感じのことを言っていて、二人ともずいぶん自分勝手なんだなと、なんだか安心しました。

惚気で気持ちが楽になったのはいいものの、別に疑問が晴れたわけではありません。ちゃんと言葉にできたらどれだけいいかと今でも思ってはいます。ただ、これについてはもうなんとなく諦めのような気持ちもあります。もっと具体的に言えば、自分の中には、言葉で説明できる部分と、フィーリングとしか言えない部分があって、恋愛感情のなんたるかとかいうことは、大部分が後者に属するものなんだろうなという悟りを得たということです。「大部分が」としたように、純粋にこの二分論で切り分けられるものなどほとんどないんでしょうが、あまり根を詰めずに後者の存在をしっかりと認めて、そこも大切にしていくのがより良い生き方なんだろうなあと思います。どうもこれまでは、これまでのブログの記事の性質が表しているように、前者を重視しすぎているきらいがあるような気がするので。

久々に書いたのでずいぶん気合が入った記事になってしまいました(5000字。今後短答までに書くとすれば予備試験を受けることの自分なりの意義みたいなのを問い直す格好の記事になるでしょうか。よっぽど面白いことがなければあまり他の題材が出てこない気がします。ではまた。