*:.。.:*゜ぁいとーの日記 ゜*:.。.:*

ある時点での自分の記録たちとその他いろいろ

タコピー人気に物申す!

お久しぶりです、あいとーです。無事東大法学部を卒業することが決まりました。だからというわけではないですが、今回1年以上ぶりに記事を書いています。

前回からのつながりでは、予備試験についに合格したというのが大きな出来事なのですが、まだあんまり書くことが思い浮かばない現状です(司法試験終わったらなんか起こるかもしれません)。

本当は、高校生の時にクイズをしていたことを振り返る記事と共に、自分が作ったクイズを載せるという大変楽しい記事を書こうと思っていたのですが、ネタばかりが積みあがって全然問題を作っていないのでとりあえず棚上げ状態です(これも司法試験が終わってからやることになりそう)。

それでもそろそろ何か書きたいなあ、という気持ちでいたところ、先日とある先輩が「ジャンプラ漫画は人工的過ぎる」という旨のツイートをされていたのを見て、「これだ!」と思い、今回筆を執った次第です。僕はけっこう逆張りがちなタイプなので、『タコピー』も面白いけどなんか胡散臭いね、なんて心の中で思っていたことが、端的に表現されていたので、共感を込めてこの記事を書いていくつもりです。

(しばらく前置き)

ここ数年で、Web漫画(ここでは、主としてオリジナル作品を指します)という媒体は、電子書籍スマホの普及と共に、著しい進化を遂げてきました。振り返ってみれば、かつてのWeb漫画は個人サイトや新都社で、きわめて個人的な作品として描かれてきました。僕が昔記事にして紹介したのも、そういうWeb漫画的古典の流れの中にある漫画たちでした。絵のうまさも不要、表現規制もない、という中で、王道からはずれた人気作品も多数ありました(長門は俺(=藤本タツキ)の『ムリゲー』も、2014年の作ですが、その類な気がします)。

そんな混沌としたWeb漫画界に大手出版社が参入してきたのは2012年のことです。「裏サンデー」や「となりのヤングジャンプ」が、それぞれ『ケンガンアシュラ』『ワンパンマン』といった後の人気作品を引っ提げてオープンしたのがこの年でした(ちなみに、いずれも原作者は新都社出身です)。さらに、『Re:Life』で人気を博したcomicoがオープンしたのが2013年10月で、スマホベースのWeb漫画はこのあたりから盛り上がってきたと言えそうです。その翌年、「少年ジャンプ+」や「マンガワン」など大手出版社のアプリがスタートし、今に至るまで、オリジナル作品が連載され続けています。最近では、アプリ出身の作家が本誌に移籍する例(『チェンソーマン』藤本タツキ)や、逆に本誌で連載経験のある漫画家がアプリで連載する(『SPY FAMILY』遠藤達哉)という例もちょこちょこあり(ジャンプ系で顕著な現象な気はしますが)、いよいよメジャー化してきているのだなあ、という印象です。

(ここまでは余談です)

そんな中で、特に今ネットで話題の漫画といえば、そう、『タコピーの原罪』(タイザン5)です。巧妙に張り巡らされた数々の伏線と、ポップな絵柄とダークな設定の奇妙な調和が、人々の心を掴んで離さないようです。作中の非現実的な設定(「ハッピー星人」やその道具)は、単に話を進める梃子となるだけではなく、キャラクターたちの後ろ暗いリアルな設定を際立たせているように思います。そして、随所に現れる対比的な構図と、衝撃的な一枚絵が、「引き」を作って読者を楽しませています。

こうやって書くと、褒めてるだけになってしまいますが、僕も実際『タコピー』がつまらないと思っているわけではなく、むしろ面白いし続きが気になるとは思っています。ここで問題にしたいのは、そういう計算され尽くした面白さと、それに乗っかって起きているビッグウェーブについてです。

『タコピー』の設定は極めて露悪的です。テーマとしては、いじめ、毒親、コンプレックスなどなど。登場するテーマとしては離れますが、昨年話題を呼んだ藤本タツキの『ルックバック』も、この露悪、という面では共通するものがあると思います。これまでにも、いわゆる「鬱漫画」という括りで様々な作品が語られてきました。ただ、個人的に、うまく言葉にするのは難しいのですが、これまでの鬱漫画とは異なる性質を、『タコピー』は持っていると考えているわけです。鬱漫画マニアの人からすると、大した違いではないのかなと思いますが、そういう人たちのことは置いておいて話を進めます。

さて、鬱漫画の際たる例としては、浅野いにおの『おやすみプンプン』が挙げられます。この漫画は、鳩サブレーみたいなビジュアルの主人公などのシュールな表現と、対照的な暗いストーリー展開、というところで、なんとなく『タコピー』と対比できる部分があるような気がします。知った風に書いていますが、『おやすみプンプン』は読んでいてしんどくなったので、最後までは読んでいません(すいません!!)。ただ、この「読んでいてしんどくなる」という感想が生まれるかが、両者の差なのではないかと思うのです。『プンプン』は、鳩サブレーにして生々しさを軽減してはいるけれども、しかしやっぱりどこかで自分事として捉えて読んでしまうところがある。

翻って、『タコピー』はどうでしょう。絵柄は『プンプン』(とか『ミスミソウ』)に比べるとフィクション寄りです。そもそも、自己省察的な場面自体が多くなく、回想シーンとしての不幸な環境が主としてピックアップされています。更に、作中では、人間社会のドロドロに無知であるタコピーが、暗い場面に現れては的外れな発言をする場面がいくつか見られます。このような表現によって、「最悪」はキャラクターの中に押し込められ、読者にとって他人事となっているのではないでしょうか。言い換えると、読者が受け取るのは、社会における「最悪」のテンプレに過ぎない、ということです。単に自分が恵まれていて、この漫画内のシチュエーションへの共感能力に劣るという面は否定できないものの、これまで説示してきたような仕組みも確かに存在しているのではないでしょうか。実際Twitter上でも、『タコピー』は読んでるけど『プンプン』はリタイアした、という人がわりといるように思います(凄く暇な人は調べてみてください。ちなみに、『ミスミソウ』は、『タコピー』と比較する投稿自体『プンプン』よりはだいぶ少ないです。)。そもそも、『タコピー』は本質的には鬱漫画ではなく、『明日カノ』とか『ヒマチの嬢王』の系統に位置している、とも言えそうです。役に立たない道具の存在によって、超常的な力による救済を否定している、という点が、そこはかとなく鬱漫画っぽいというだけなのかもしれません。

少し脱線してしまいましたが、そういう意味で、『タコピー』の読者の多くは、「最悪」なものに対して「つらい」というお気持ち表明をするだけで済む、ということになります。それによって、多くの読者は自己について顧みることなく、「最悪」について語ることができるようになります。それこそが、鬱要素を多分に含む『タコピー』がバズるための前提条件なのだろうと思います。そして、他人事の「最悪」というベースに巧みな漫画テクニックを惜しみなくぶち込んだ存在である『タコピー』は、設定は重いのに、手軽に読めて、手軽に考察できて、そのことでネットのみんなで盛り上がって気持ちよくなる、という非常にわかりやすい構造を見事に作り上げています。「(~~という表現について)漫画がうまい」「最悪すぎる」など、知った風な感想がTwitterで飛び交っているのをよく見かけます。作品自体に魅力がなければ、こんなに話題にはならないということは前提とした上で、『タコピー』はメタ的な部分での話題を途切れさせないようなつくりであるということが言えるでしょう。穿った言い方をすれば、日々ちょっとした嫌な思いをしている一般市民の「これがわかる(一人称)ってすげー」的な承認欲求を発露させるのに極めて長けた漫画であると僕は思います。それが悪いことだとは思いませんし、現代的需要に完璧にフィットしていて賢いなと感心はします(作中のシチュエーションと同様の目に遭っている人々にとって、問題を矮小化しているという批判はありえます)。単純に、そういう構造があからさま過ぎて、ちょっと怖いなあ…という好き嫌いの問題です。実際、ここに書いたようなことはみんなわかっていて楽しんでいるっていう人もいるでしょうしね。この記事で僕がしているのは、アンチ味の素的な主張であって、まさしく逆張りという他ありません。

ちなみに、『タコピー』はいろんな意味を取れそうな終わり方をして、Twitterが盛り上がるのではないかと思います(これですごい綺麗に終わったとかだったもう敵いません)。またそのうちお会いしましょう。さようなら。

https://www.amazon.co.jp/%E8%AA%AD%E3%82%93%E3%81%A7%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%84%E6%9C%AC%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E5%A0%82%E3%80%85%E3%81%A8%E8%AA%9E%E3%82%8B%E6%96%B9%E6%B3%95-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E5%AD%A6%E8%8A%B8%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB-%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%83%AB/dp/4480097570