*:.。.:*゜ぁいとーの日記 ゜*:.。.:*

ある時点での自分の記録たちとその他いろいろ

Instagramくんが私のことをバカにしてきます

こんにちは、あいとーです。競馬と税金の記事を執筆中なのですが、思いの外ガチになってしまってしばらく完成しなさそうです。ということで、急遽最近思ったことについて書くことにします。

ちょっと前に、今年の東大のミスミスターの出場者が発表されました。このイベントの存続の是非については(語れるほどの知識も思い入れもないので)一先ず置いておくとして、ミスのN番の子が〇〇の知り合いというので、インスタのアカウントを覗いてみたのです。これが全ての始まりでした。

TikTokYouTubeAmazonなど、世間を席巻したサービスは、ユーザーの行動を読み取って、それを新たな情報の提供に役立てています。データを持つ者の強みを存分に活かした結果です。インスタもその例に漏れず、検索の画面には、検索履歴や「いいね」の履歴を活用して、それらに関連する投稿がぶっきらぼうに並べられています。

平成(笑)の前半(笑)に生まれた陰キャおじさん(笑)の僕としては、LINEとTwitterが主戦場で、インスタは正直全然活用できていません(TikTokは言わずもがな)。外向きのストーリーとか投稿についてもそうですが、情報摂取の手段として、何かをインスタで検索することはほとんどなく、目当ての飯屋やケーキ屋の営業日と時間を確認するくらいにしか使っていないという状態です。そうすると、渋々インスタの方から提供されるのは、おいしそうなケーキの写真や、「○○グルメ6選!」といった毒にも薬にもならぬ投稿ばかりとなっていました。そんなデータの砂漠地帯にいきなり生えてきたのが、ミスN番の検索履歴と閲覧履歴、というわけです。

その後、特に他のミスの方とか、他大のミスコンについて検索した、ということもありません。まあ東大の人は多少見た気もしますが、ほとんど記憶にない程度です。ところが、「あの日」からしばらく経った時、突然インスタの検索画面の半分ほどが、今年のミスコン出場者その他キラキラな感じの女子に占領されていました。あの胡散臭いインフルエンサーたちのグルメまとめ投稿はどこへ行ったのでしょう?

「かわいい子がいっぱい見られるんだからいいじゃん」と思われるかもしれません。それが全く間違いというわけでは当然ありません。美醜の価値観は、物心ついた時からの種々の経験により、既に僕の脳の深くに根付いていて、ルッキズムに対する批判の意識があるとしても、それは培われたものを壊すほどのパワーは(自分にとっては)ありません。この点に関して、今後の社会を変える方向を目指したとしても、自分の進む道はもう後戻りできないところまで来ているわけです(この開き直りを批判されても仕方ないですが、少なくとも今の自分はこのように現状を捉えています)。

そして、この歳にもなって、「性欲」に対して過剰に抑制的に振舞う、というつもりでもありません。これは一種の男子校しぐさな気がしますが、あえて恋愛的なものの「純粋」さを美化して行動する、というのは(その価値観の尊さはあるとしても)、あまり現実的ではないでしょう。とはいえ、まだこのしぐさが抜けきらないところはあると自覚してもいますが…

長いこと言い訳を挟んできましたが、要するに何が言いたいかというと、「かわいい子がいっぱい見られるのはいいけど、見せられるのは納得いかない」ということです。俺の欲望をAIが規定するなよ、という怒りがあるわけです。逆張りマインドを常に意識している僕としては、世の中は既に便利になりすぎたと嘆かざるを得ません。

技術の発展や、GAFAの登場が、人間の生活に大量の「どうせお前こんなん好きなんやろ?」を溢れさせています。これまた大量にあるデータから導かれる「どうせお前こんなん好きなんやろ?」はかなり正確で、日常生活を便利にしてくれますし、そこで偶然に出会ったものが自分にとってすごく価値のある何かだった、ということもきっとあるでしょう。その効用の大きさは、いまさら素人が書き連ねるまでもありません。

それを認めた上で、僕個人としては、「確かに好きだけど、それはお前が決めることじゃない」と反抗しているのです。見たいものだけ見ていられる世界だからこそ、「見たいもの」から自由でいたい、と意識しています。この類のテクノロジーはこれからも発展していくでしょうし、その恩恵を与ろうとは思っていますが、それでも自分の欲望や興味関心をテクノロジーに決められたくはない、という意識は崩さないでいたいです。せめてそれくらいは自分で決めさせてくれ、というところです。この点に関してはそこそこ徹底していて、Twitterのいいね欄に思想が出ないようにするとか、YouTubeのアプリは基本的に使わない(見たい動画はブラウザで見る)とか、半分ただの意地ですが、そういうことをしています。時々は「これってすごい損してるのでは?」と思うこともありますが、このちっぽけなプライドが大事なんだ、ということで、これからも同じように過ごしていこうと今のところは考えています。

根本的に、自分ができることを他人に任せたくない、という気持ちが強い、というところもあります。前回の記事では、ネット上の競馬予想の需要は「思考を他人任せにすること」にあると書いたのですが、僕は絶対に自分で予想したい派です。今回の話は、「自分の欲望や興味をAI任せにしたくない」という論旨なので、かなり似たようなことを言っている気がします。自由を標榜する母校・灘校では、判を押したように「自由には責任が伴う」と言われるのですが、僕としては、「自由な思考・欲求とそれに対する自己責任が、自分なりの人間らしさである」ということを思う次第です。

(司法修習に行くまでに、少なくともクイズについて(作った問題の公開も含めて)と、競馬と税金の話は書き上げたいと思っています。)