*:.。.:*゜ぁいとーの日記 ゜*:.。.:*

ある時点での自分の記録たちとその他いろいろ

♪愛情ってゆう形のないもの~

こんなに間が空くとは思っていなかった。これまでがハイペースすぎたという見方もできる、というか実際そうだったと思う。どうしようもないので重い腰?を上げてTinderをネタに記事を書くことにした。

山崎賢人の写真を採用してから明らかにマッチが増えたという事実(なぜ山崎賢人か、わかる人にはわかる)に、世の中の悲哀を感じるこの頃である。始めてから大分経ったもので、業者とか救いようのないメンヘラとか雰囲気ですぐわかるようになった。一言目の出し方にも大分慣れてきたように思う。女性だと思って話していた人が実はバイセクシャルの男性だったという、相手の気持ちやらなにやら考えると怒るに怒れないけれども、ヘテロの僕からすれば大変痛ましいような出来事もあった。話の小ネタが増えるのもTinderならではというところで、理Ⅲを知らないJK、子持ちの20そこそこのシングルマザー(マッチしたことはない)、etc.と自分が生きてきた世界とは隔世の感もあるたくさんの人々が同じ日本にいるということも自然と頭に入ってきたのだった。

そういうこまごまとしたことはさておき、少し考えさせられる出来事があった。本題は少し先になるのだが、ぜひ最後まで付き合っていただきたい。なお、一部薄めに脚色しているのでそこのところはご理解のほど(少し短絡的じゃない?と思ったところがあれば、きっとそこが脚色されている)。

こないだマッチした人がプロフィールに「一人暮らしの男の家に行きたいです。大きいといい」というようなことを書いていた。「とうとう僕にもお鉢が回ってきたらしい」なんて虫のいいことを考えながら、適当に雑談もしつつ、「一人暮らしですよ」「隣町のラーメン屋の近くに"HAPPY FAMILY LIFE"って書いてあるコンドームの自販機があるんですよ」などと自己アピールを行い、向こうの人もけっこう行為に乗り気に見えた。見えたというか、これは間違いなく"HAPPY FAMILY LIFE"案件だという感じだった。

ところがどっこい話が進むと突然、「童貞でしょ?」なんてことを聞いてきた。羞恥心を噛み締めながら、「話してるだけでわかるもんですね~ まあ男子校6年なんで」などと模範的童貞の返しをすることになった。くそお。しかし次の彼女のセリフでその羞恥心は吹き飛ぶことになる。「私童貞とはしないようにしてるんだよね。(笑)」と彼女は言ったのだ。

なんということだろう!これまでの雑談から彼女に彼氏がいるということ、その間も他の男性とセックスをしているということを聞いていた僕は相当驚いた。最初この彼女の「主義」を聞いた時のがっかり感もまた驚きに流されていくくらいに。明らかにクズっぽい奴とはセックスしないというなら(自分の既存の価値観に合って)納得もできようが、いわゆる「ヤリマン」などと呼ばれておかしくない彼女があえて童貞を拒んだ理由が僕にはわからなかった。まさに「イメージの裏切り」とでも言えよう。こんなことでキレてると勘違いされぬよう、慎重に「なんで童貞とはしないことにしてるんですか?」という旨のことを聞いた。僕にとっては意外なことに、彼女は「私も初めては好きな人とで幸せだったから、君もそうして欲しいな」なんてことを言った。

今彼女がしていることと、彼女の言葉とは、矛盾、というか大きな変化が明らかに見て取れる。その理由を推測することもできない自分の経験の無さに呆れながらも、新たに湧いてくる疑問を彼女に投げかけた。「なんでそんなに変わってしまったんですか?」と。(今思えばずいぶんとデリカシーもなく次々と聞いていたもので、よく答えてくれたなあと感じるところ。)そしてまた彼女は衝撃的なことを告げてくれた。「すごく好きだった元カレが、自分と付き合ってる間に他の女の子とガッツリ付き合ってたってことを知って、結局愛されてなかったんだと思うと何だかどうでもよくなっちゃって、って感じかな」

まさかこんな深刻な話になると、最初は誰も思っていなかっただろう。僕もそうだった。彼女はこうも言った。「穴埋めがしたいだけなのかもしれない。」と。言葉で語る「真実の愛」の薄っぺらさに疲れ切った、という様子だった。残酷に奪われた「真実の愛」という題目の代わりとして、一時的な性愛を使わざるを得ないほど苦しんだようだった。それでもなお、その尊さゆえに「真実の愛」を求めてしまう人間らしさにも溢れていた。いくら僕に恋愛の経験がなくても、すごく共感できる部分だった。

「本気で好き」だとか、「真実の愛」だとか、今のところ自分は感じたことがないような気がする。恐ろしいほど鈍いか怖がりか、どっちかかもしれないけれど、主観で言えば同じことだ。母親はよく「あんたは幼稚園の○○先生のことが絶対好きだったよ」ってことを言うのだが、あんまり昔なので何も覚えておらず、役に立たない。世の中の恋人たちはどんな気持ちで、付き合い、別れ、また付き合って、と繰り返しているのだろうか。自分も相手も嫌な思いをしないように、「ちょっと気になってるのかな」という程度ではほとんど告白に出ることはしてこなかった。純粋なものを求めすぎているのかもしれない。この年代の恋愛にはそぐわないんだろうなと自分でも思う。あるいは、決まりきった定義を求めすぎているのかもしれない。親友に近いのか、セフレとは近いのか、恋人というのはどんな人間関係であるべきなのか、そういう堅苦しいことに囚われているようにも思える(このレベルに拗らせてると、男子校が悪いとかそういう話ではない気がする。)。とにかくそういった諸々の問題に思いを馳せながら、「初めては好きな人とした方がいい」という彼女に、「本気で人を好きになったことは今までない気がするんです」と心の内を打ち明けた。

彼女もまた同じような悩みを心の内では持っているようだった。「いろいろ言ってきたけど、私も自分から人を好きになったことはなくて、相手に言われて自分も好きになるみたいな感じかな」と彼女は教えてくれた。それじゃ自分の問題が解決しないのは明らかだけれど、「誰かに好きと言われたら、なんとなく自分もそんな気がしてきそうだ」ということにはとても共感した。相手が自分のことを好きだと言ってくれるなら、こっちから好きと言っても傷つかないだろう、と思う。相手が何か大事なものを預けてくれたということに、心を動かされるだろう。やっぱり僕は単に臆病なのかなと思ったけれど、本当のところはまだわからない。

そんな彼女も、「今の彼氏といる時間は幸せだし、離れたくない」、なんてことを思うらしい。きっかけが完全に相手主導でも恋愛はちゃんと成立しているようだ。ついでに言うと、「大きさよりも、好きな人とするのが一番気持ちいい」そうである。そうした感情が「好意」という規範的要件の評価根拠事実なんだろうか、と考えながら、傷ついてもなお恋愛に身を焦がす彼女を羨ましく思った。彼女の彼氏のことを考えるとさすがに気の毒だなあと感じるけど。そろそろちゃんと恋愛しなきゃまともにも幸せにもなれない気がするし、それこそまたTinderを活用しなきゃなあと思う。予備試験の勉強も時期で言えば後半戦、本気の本気で取り組むべき時期に入っている中、何につけても時間を有効活用したいものだ。