*:.。.:*゜ぁいとーの日記 ゜*:.。.:*

ある時点での自分の記録たちとその他いろいろ

満足の天井

こんばんは。ふと見返した逆評定に「×女好き」と書いてあったのを見て、「これじゃ下クラの女子に警戒されてしまうじゃないか」なんて思い、その発想がすぐ出るのが「×女好き」たる所以か~なんて勝手に納得しています。あいとーです。

さて、3日間に渡る駒場祭を責任者として乗り切り、まだまだ疲れの残るこの頃です。コマーバックスという安直炎上ワンチャンネーミング店舗でしたが、なんだかんだ美味しいホットチョコレートを提供し、たくさんの売り上げを出せました。オシャレな店舗に見合わぬ男スタッフばかりの時間帯も長かったですがよく売れたなあと思います。改めて協力してくれたみんなに感謝しなければならないところです。

ところで、売り上げというのはいくら増えても困ることはありません。まあ配分には難航するかもしれませんが。10万円利益が出れば、15万あったらなあと思うし、15万円利益が出れば、20万欲しかったなあと思うものです。「コーヒーも一緒に売っていたらもっともっと儲かったかも」とか思うこともあります。金への欲望は際限なく高まっていくものです。

とはいえ売り上げに関しては、15万の利益だったとしてもけっこう満足のいくものです。駒場祭の来場者数、製品の値段、等々を考えれば、満足のラインは軽々超えています。実際の世の中はこれほどわかりやすいものばかりではありません。一段高いところに進んでは、まだ遥かに聳え立つ山を目にし、グロッキーな気分になります。クイズだって、けっこう強くなれましたが、自分より強いプレイヤーがいくらでもいるわけです。トップに立つには相当な努力がいるけれど、あまり好みでないこともしないといけないし、コスパもかなり悪い。トップに立てないものに全力を注げるほど、競技としてのクイズは好きではなかったようで、フェードアウト気味になってしまいました。「逃げてるだけでクソだせぇ」という意見をもらってもいいような理由だけど、何かをやめる人ってきっと多くはそんな気持ちなんだと思います。無力感と戦い続けて成長して、ある程度のレベルで満足して見切りをつけて、そしてまた別のことを始める。一つのことをずっと続けられるのは、才能がある人と、それを心から愛している人だけでしょう(これだとまるでクイズなんか嫌いだと言っているようですが、わいわい仲間内でやる分には一生続けたいと思うくらいには好きです)。

こうしてまあほとんどのことは満足と無力感の折り合いをつけてやめられるものですが、人生というのはそう簡単にやめることはできません。なんせ、死なないとやめられません。しかも人生の満足度とか、自分の能力への満足度とか、他のほとんどのことよりも曖昧で抽象的で測りにくいもので、ややこしいったらありゃしないという感じです。愛とか友情とか知能とか人間性とか、評価の要素一つ一つがまた掴みにくいもので、「人生はクソゲー」なんて叫ばれるのも無理はない話だと思います(その点容姿とか運動神経とか学歴とか、わかりやすくていいですよね。こういう要素は、わかりやすいがゆえに、重視されるのだろうなあと思います)。

大人になるにつれて、自分が成長しているなあという実感は時々得ることがあります。他人との関わり方や遠ざけ方、頭の使い方、自分の人間性の見方とか、少しずつわかってきて、満足感を得ることもあります。ところが、それを客観視する場面はそう多くないし、当然自分より友達付き合いがうまい人もいれば断然頭のいい人もいて、ぐうの音も出ないくらいにいい奴もいるわけです。そのたび自分の人生の価値の脆さを突き付けられます。ああ、所詮自分は今誰かにとって代わられる程度の存在なんだ、と。それでも、そういうすごい友人との付き合いが、自分の人生に、たくさんの面白味も与えてくれるから、切って捨てるわけには絶対にいかないのです。無力感で殴られながらも、そこで芽生える向上心こそが自分を駆り立てるわけで、全く絶望的な状態だなあと思います。先ほど「人生は簡単にやめられない」ということを言いましたが、そういう自分を駆り立てる無力感をシャットアウトしてしまえば、人生をやめたも同然の状態に陥ることはできると思います。そこに堕したっていいじゃないか、ほとんどの人はきっとそうじゃないかとも思いますが、やはりなんとなく気づいてしまった以上もはや引き返せないという、このブログで何度も言っている、「知ってしまったゆえの不幸」があるのかなというところです。

(とある先輩がよく言う、「王」とか「GOD」とか「Fake」とか、気に入って使ってしまうのはこういう考えによく合うからなんだろうなと思います(もっと俗っぽい使い方もよくしますが)。王になるまで、無力感に打ちのめされ続けるような世界に生きているわけです。ナンバーワンも含め、何かしらの形でオンリーワンとして社会に爪痕残さないと、Fakeに終わってしまうなあと思っています。)

そしてそうやって気づいても、なお努力を怠ってしまう自分に嫌気が差すわけです。一体何なら本気で努力できるのか、それを見つけるのもまた喫緊の課題の一つでしょう。無力感と戦い続けていられるような面白い場を見つけたい、そしてそのためには結局色々な形で勉強を続けていくしかないんだろうなと思います。

毎度似たような結論になるのは、今自分がしていることの意味を考えているからだと思います。こんくらい色々理屈をつけないとすぐに逃げ出してしまいそうなので。もっとうまいこと生きていければ贅沢に悩むこともないのになあと思いますが、どうしようもないので飽きるまで書き続けることになります。次回はとある人よりテーマをいただいたので、「日本人のアイデンティティ」というものを考えてみます。本とか読まないと見るに堪えないゴミを生産しそうですが、頑張っていきたいと思います。それではまた。