*:.。.:*゜ぁいとーの日記 ゜*:.。.:*

ある時点での自分の記録たちとその他いろいろ

幸福論?

(プライバシーの観点から一部脚色してたりしてなかったりします)

ご無沙汰しております。あいとーです。ニッチな人気さえもなさそうな本ブログは驚くべきことに、開設から1年を過ぎているようです。それと全く関係ないことですが、今日はいつもよりストレートな感情が爆発する記事になっています。

どうも最近は、ずっと心に重石を抱えて過ごしているように思います。しっかりと落第した予備試験のみならず、自分の不甲斐なさを感じることが多いこの頃なわけです。その不甲斐ない、と感じた一つの出来事が、今回の記事の起点になっています。

Tinderで知り合った彼女は美大の4年生です。彫金専攻で、指輪やアクセサリーをよく作っているようです。それゆえ、宝石なんかにもかなり詳しくて、国立新美術館でやっているカルティエ展を観に行った時にも、昔から金目の物が大好きだった自分と一緒に、アクセサリーを彩る石についてあーだこーだと話し合っていました。美術が、彫金が好きなんだろうな、という彼女の感性は、この時に限らず、いつも会話の端々に見え隠れしているように思います。

美大生の就職活動というものは、概ね一般大学生よりも遅く、また苦労しがちとされています。絵を専攻する人ほどではないようですが、彫金もまたその例に洩れません。基本的に新卒の採用人数は一桁止まりで、ミキモトなんかでは美大生の枠は年3人ほどとのことです。そういうわけで、最終的に彫金とは縁遠い一般職に落ち着くという人が相当数いるのが業界の実情であるのです。

そして、その苦労は、ふわふわとした自分に比べればずっと真っ直ぐに先を見据えているように思える彼女にも降りかかっていました。そんな中で、なかなかうまくいっていないんだ、うつじゃないとは思うけど、最近は時々薬をもらっているんだ、ということは、もちろん時々耳にしていましたが、生来の自分の人生への楽観からか、彼女の就職だってきっとなんとかなるだろう、そしたらストレスもなくなってうつだかなんだかわからないものも吹き飛んでいくだろう、とあまり深くは考えないでいました。

そうこうするうちに、予備試験を受け、夏休みを過ごし、あっという間に10月になりました。この時も自分は、何も言ってくれないってことはきっと就活の終わりはまだなんだろうな、と不安はありながら、とりたてて質問することもないままでいました。そんなような、なんとなく危うい安定は、珍しく向こうから唐突に電話がかかってきたときに脆くも崩れ去りました。

彼女の趣味、というかライフワークらしいのが、夜の散歩です。電話をするときも、彼女はいつも家の近くをぶらぶらと歩きながら話しています。論文の合格発表の2日前だったその夜も、スピーカーの向こうからは足音が聞こえてきていました。初めは何気ない話ばかりで、高クイの人とボルダリングをしてたらSASUKEの川口さんがいて写真を撮ってもらったんだ、なんて言って笑っていましたが、途中から雰囲気が変わってきました。

就活が全然うまくいかない。今までやってきたことに何の意味があったんだろう。つい薬を飲みすぎてしまう。…

彼女の歩みの確かさを少しは知っているがゆえに、ふらふらと涙ぐんで歩きながら話される苦しみの深さがわかり、返す言葉に詰まる時間も長くなりました。気立てがよくって、普段から何か自分の悩みなど見せずに強かに過ごしているように見えていた彼女が、その実相当に追い詰められていたということに気づき、隠しがちな弱さを汲めない自分の鈍い心をただ情けなく思いました。しかし悲しいかな、男性脳というやつのせいなのか、その時はまだ「実効的な解決策」というものを探そうと必死でいました。

ところが、「死」を匂わせるような言葉が彼女から出てきたとき、自分はやっと、そんなこと考えてる場合じゃないということに思い至りました。奇しくも、今年は母方の祖母の葬式があり、これは自分にとって初めてのよく知る親族の死への直面でした。誰かが二度と帰ってこない、という現実の生々しい感覚が、自分の中に強く残っていました。だからこそ自分は、その時は割と高いところにいたらしい彼女に、「そろそろお家に戻ろう。」と言いました。向こうも何かを察したようで、普段の落ち着いた風で了承してくれて、家に帰ったのを確認して、しばらくした後通話を終えました。

これまでの自分と彼女は、互いにわざわざ文句を言うことも、望みを言うこともかなり少ない関係だったように思います。それはもちろん二人ともが高い満足感を持っていたからなのでしょうが、その分相手に迷惑を掛けたくないという無意識下の抑圧があったのかもしれません。しかし、この段になってようやく、彼女はありったけの悩みを吐き出して、自分もそれに応えるように、ありったけの願望をぶつけられたのだと思います。

よく探してみれば、どこかに絶対味方がいる。周りを置いていかないで、助けを求めて欲しい。偶然高校の時に中学の同期と仲良くなれたように、不思議とTinderで出会ったように、思いがけない転機が待っているはずだから。…

こうして並べてみれば、なんとも場当たり的で、薄っぺらにも見えてしまいますが、これらの口にするのも恥ずかしいポエティックな言葉は全て心からの願望であると、それは自信を持って断言できます。あるいは、運命ほど大げさでパターナリスティックではないような、一種の巡り合わせというものを信じる自分の哲学なのかもしれません。

今年の論文式試験に落第したと分かったときは、我が目を疑い、法務省をも疑いましたが、もはやどうすることもできないことです。去年の5月から始めた予備試験の勉強で、講師の方々に多く期待をかけていただきながら、今までの試験勉強と違ってちゃんと自分でしっかりと勉強してきたと思っています。実際、論文式試験の手応えも、周りが話す感触からしても、決して悪くないものでした。ところが結果は動かし難い不合格です。

己の珠に非ざることはよく知っていたつもりですが、しかしどちらかと言えば綺麗な石であることは信じて過ごしていました。そんな臆病な自尊心ライクな心の持ちようもぶち壊されて、発表前に歩道橋から環八に突っ込んでおけばよかった、それとも今からでも間に合うだろうか、なんて暗い思考が頭を渦巻きました。ふらふらとした自分でも、生きていていいと思える最後の自己肯定をも失った気分でした。

そんな中でも、周りの人たちは思ってもいないくらい優しくいてくれました。各所の友人・先輩・後輩たちも、偉そうなのに励まされたばかりで沈んでいるはずの彼女も、一番期待をしていたであろう両親も、誰もが各々のありったけの励ましをくれました。なんでこんな情けない奴を助けてくれるんだろう、と親切に気怠くなることもありましたが、そのうちに自分が彼女に投げかけた願望のことを思い出しました。

意義深い理由なんてなくても、生きていていいんだ、ということにふと気付いたわけです。もちろん生きている以上高みを見据えなければいけないし、そうしなければ生き残れないと思っていますが、それとは別に、人間賛歌のような肯定が、自分を支えていてくれているのだということに、20を少し過ぎたこの頃、気付くことができたわけです。名誉の道は非常に狭く、二人並んで通るほどの余裕はないとしても、人間はこうも美しいと、そう思います。

そうすると、今年試験に落ちたことには、驕るなよ、もっと勉強しろよ、というのに留まらない、暖かい希望の存在に気付かせるという意味があったのかもしれません。客観的に本当のところは、単なる不合格ということですが、やはりそうではないように思いたいという心の内です。やはり何かの巡り合わせというものが、人生には付き物であるのに違いないと、今は思っています。

一昨日にも、アガルートで仲良くなった面々が、遅めの誕生祝いをしてくれました。そうか、こういう人たちがいてくれるから、こんくらいのことがあったくらいで塞ぎ込んでばかりいないで、生きていないとな、と改めて考えました。これもきっと一つ巡り合わせだと、そう思ったらなんだかエナジィが出てくるような気がします。

 

 こうやって1年何か気持ちを形にしてきた中で、今回、自己肯定という面については一定の解決を見たように思います。やはり何か書いてみるものだな、と、ここまで続けて良かったと感じます。こうなると映画か漫画の感想くらいしか書くことがない気がするのですが、細々とまた続けていけたらなと思います。それではまた。