*:.。.:*゜ぁいとーの日記 ゜*:.。.:*

ある時点での自分の記録たちとその他いろいろ

教習期限9の叫び

なんかこう真面目な記事をまとめきれず萎え萎えなあいとーです。最近は「まあ3000字は書くよね」みたいな感じになっており、きれいにオチつけて終わらせられないということが続いてまして、春休みだというのに文筆活動もままならない状態で、とりあえずこれを脱却しようということで一筆啓上火の用心、頭悪そうな記事を書いてみた次第です。

さて、大体タイトルの通りな記事であるのですがしっかりと詳細を説明していきたいと思います。

去る夏休み。アガルートで法律の勉強を始めてからは2か月ほど経った頃で、ショッボい民法の論文を書いていた時期でしょうか。恋人もいないし、大学の友達とも今ほど仲良くないし、食っちゃ寝食っちゃ寝勉強しちゃ寝みたいな絵に描いたようなコピペ祭りライフを送ることが予定されていた(沽券に関わるので弁解しておくと参加したイベントはいくらかある)我がナインティーンの夏休みなのですが、とあるミッションが舞い込んできたことにより一気に風向きが変わることになります。

―「暇やったら車の免許取りなさい。」 それはまさに鶴の一声、大地を揺るがす和太鼓の律動、いつの時代も母は強く、世界の一般原則に従って、生協で書類を手に入れコヤマドライビングスクール二子玉川校(以下「KDS」と称する)で修業を積むことになりました。彼女は基本的にいい親だと思っているし尊敬もしている(予防線あるいは留保)のですが、どうもやはり因習(実のところこれがこっちの偏見かもしれないが)に囚われた部分があることは間違いなく、「男の癖にMTも乗れないなんて恥ずかしい!私でさえ取れたんだからMTにしなさい!…(以下略」ということで日本ではほとんど使われていないMT免許を取ることになりました。そもそも東京で車乗るかも怪しいのに。まあとにかく、思えばこれが地獄の始まりということになるのでしょう。

念のため申し上げておきますと、KDSは基本的にはごくまともな教習所であります。建物は綺麗だし、二子玉川駅から歩いても10分強(※男子大学生の足)ですし、色々とスクールバスも出ており、特に文句をつけることはありません。従って読者の皆様におかれましては、こんなクズがいるなら私も生きる希望湧いてくるわ、みたいなメンタリティでこの記事を眺めていただければよいのです。これは余事記載になりますが、親も子も子がクズであることは教習申し込み時点では既に知るところであったにもかかわらず免許合宿を選択しなかったのはなぜか、という疑問にお答えすると、合宿ではクソ田舎を走るだけで免許を取れてしまうのですが、それでは東京での車の使用という本来的な目的を達成することができないのではないか、という親の意見により通いになった、という理由です。なんというか、筋は通ってるし軽過失という感じですね。とにかく僕が悪いので、まあ今更掘り返すようなことではありません。

そもそも自動車学校というのは、第1段階の教習で仮免許を取って、第2段階の教習で卒検に通って各人が学科の試験を受け晴れて免許取得、という仕組みであり、入学してすぐにとりあえずオリエンテーションも込みで学科の1番(第1段階では学科が10ある)を受講します。いくら僕がどうしようもない人間だと言ってもさすがにそれくらいはやり遂げました。50分トイレも行けず、私語も0、内職・携帯の操作なんてもってのほかという絶望システムにはすでに辟易していましたが。さて、次は実車模擬の後、校内技能教習の1回目を行うという、今後の技能教習の礎となる時間がやってきます。ところがもう僕はこれにさえ1か月行かないという狂気のサボりをかましてしまいました。途中1度予定を組みなおしたもののこれを放棄、のんびり暮らしていたところ再び母の雷が落ちてきます。「今行かなくていつ行くの!あんたはほんまに昔から(以下略」と林修のパチモンのようなワードも使っての熱意のこもった大演説が繰り広げられ、全く感動ないし反省はしなかったものの、これが功を奏し重い腰をあげて二度目の予定組みなおしに赴き、教習開始からおよそ1か月が経った日、ついに初めて車の運転をすることになるのです。なんて壮大なんだ。

それは確か8月の暮れの暑い日だったでしょうか。とうとう俺も一流のカードライヴァーかと、胸にこみ上げる感慨を噛み締めながら、しょーもない模擬運転を終えた僕は教官に連れられ意気揚々とMT車に乗り込んだことは今でも印象深い出来事です。「楽器できる人は運転うまいっていうしピアノやってたあんたならいけるでしょ」という母の言葉を大切にしてきた僕としては、まさに絶望を叩きつけられる形となりました。都合5回ほどエンストし、40㎞出してもビビらなかったことしか褒められず、ニュートラルギア・ハンドブレーキのかかりを確認してエンジンをかけましょうみたいな当たり前のことを何度もやらされ、自分では持っていないと思っていたちっぽけな「東大生のプライド」が粉々になったということは別にないですがまあ普通にショックでした。そこから次行くのだるいなあという気持ちをもったまま、そこそこ忙しい9月を終え、大学が始まり、ネットで予約をとっては全ブッチということを繰り返していきます。年末に帰省した際には、高校同期に「それお前もう無理やろw」と散々にバカにされ、「まだそんなことないやろ(その通りですごめんなさい)」と返し、惨めな気持ちになりました。相変わらず母親にどやされながらも、他にやることがあるとついつい休み多めの日を作りたくなるもので、断固として家を出ないということが続きました。そんなこんなでとうとう1Aの授業までも終わってしまうことになります。いや、時の流れははやいですね。

そんな昨月末のこと、「教習期限は9か月ですが、まあこれは普通に通われる方なら関係ないので気にする必要はありません笑」というオリエンテーションでのスタッフの言葉がふと頭を過ぎりました。―「もしかして、このままだと普通に間に合わなくて放校なのでは?」

これまで抜かりなく「試験」というものを乗り切り、これから予備試験という難関をも圧巻で突破しようと志す者が、仮にも日本のその辺のバカでも取れるような自動車の免許が取れないとあっては切腹ものです。それは冗談として、さすがに親の金約30万円をドブに投げ捨てることは許されることではない、ということで焦りも生じたところ、目の前に一筋の光明が差しました。―「今からATにすればギリギリいけるのでは?」

自動車学校においては、ATからMTへの転科はできないのですが、その逆は可能なのです。AT限定解除というメニューが存在していること、MTの方が教習時間も多くかかるお金が多いことからも納得いく結論です。KDSにおいては、5000円プラス税の手数料の支払いによって、MT→ATの転科が可能でした。さて、つい3日ほど前にこの手続きを完了し(半年行かなかった挙句最初に言うことが転科の申し込みなのがあまりにも情けなさ過ぎて2回くらい何もせず帰っている)、新たな予定表、今後変更される蓋然性が低い予定表を手に、明日も僕はKDSに向かうことになります。

とはいえ残り2か月、春休みの予約の埋まりっぷりからすれば実質1か月ちょいでみきわめ合格まで辿り着かねばならないという状況は、予定表があるからといっても予断を許さないものであることに変わりはなく、路上教習において1回のハンコ拒否でもあれば危機に陥るものです。そこで僕は悪魔的方法を思いつきました。「最近KDSに通いだした高校同期の予定を謝礼を払うことでキャンセルしてもらい、間髪入れずそこに教習を入れることで少しでも予定を前倒しする」というものです。いや迷惑すぎるだろと自分でも思うのですが、単なるキャンセル待ちはあまりにも空しすぎて時々しかやりたくないのです。「キャンセル待ちだけで第1段階とったわw」という、「あんま勉強してないけどそこそこ成績いいわw」と同レベルのイキり発言をKDSで耳にしたので、毎日(おそらく毎午前でいいだろう)キャンセル待ちさえすればなんとか少し余裕をもって卒業できそうだということにはなると思いますが。

さて、ギリギリメンキョミクス三本の矢というものを観念するとして、うち二本はこれまで紹介した「AT転科」「(悪魔的)キャンセル待ち」でしょうが、一番大事なのは最後の「やる気向上」です。しかしこれについては我らがヒーロー、母親が射ってくれました。―「このままだったら仕送りを止める、仮免に受かれば仕送りを止めない、免許取れたら多めに仕送りをする」 やはり金の力こそが正義なのでしょう。全ての要素が揃った今僕に死角はありません。残り2か月での免許取得など猛虎の牙にムシャムシャと食いちぎられるだけのことなのです。予備試験もいよいよ一番きつい時期、一段とギアを上げる時期に差し掛かっている今、もう一つの目標に向かって邁進する僕を皆さん暖かい眼差しで応援してください。ではまた。